ちょっと道草食っていけ。

雑多な日々のあれこれを書いてます。

2013.3.1

 その部屋の中には数冊の本と小さな木のベッド、みぞおちの高さ位ある栗の木のドロワーがある。本はSFに偏っている。ベッドは長年使われており寝転ぶと軋みお尻の部分が少し凹む。ドロワーには小さな引き出しが十二個もついていて中には大切な手紙、ミニトマトの種、神社でもらった清塩など、一部屋一部屋分けられて入れられている。

 そのドロワーには秘密があった。とは言っても私しか知らないのだから自分による自分の秘密が。ドロワーには十二個の引き出しがあり、横に三つ、縦に四つに並んでいる。私はこのドロワーを手に入れてから、月が替わる毎に決まった引き出しに何かを入れるようにしていた。引き出しの配置は左上が一月、右下が十二月である。今日は三月一日、一番右上の引き出しに今日漬けた桜の花びらの塩漬けをそっと入れた。小さな小瓶に詰めてある。瓶には「2012.3.1」と書いておいた。

 

 今日、目が覚めたのは午前十一時だった。「三文の損か・・・。」そう呟きながら部屋から出ると窓が開いている。まだ寒い。三月だもの。セーターを羽織る。ラップのかかったご飯をチンしている間に冷蔵庫を漁る。サケフレークと糊の佃煮の瓶を見つけ温めたご飯とともにいただく。「いただきます。」・・・「ご馳走様。」

 食器は流しの中に置きっぱなしにして窓から外を眺めると風の音、木々のざわめき、太陽の光が私の周りにあった。人の声や車の音はしない。高齢化が進み人が済まなくなったこの場所の平日なんてこんなもんだ。だから私はここに暮らしているしここに来た。私は悩むことから、怯えることから、裏切られる恐怖から、何もできないという虚無感からここへ来た。私の悩みはすべて周りに人が住んでいなければ解決する問題だった。「今はいいさ。ここに居よう。」どちらにしても人は一人では生きていけず、いつだって一人ではない。だから今はこれでいい。そう心で想い、言葉にも出した。

 その時に風がびゅうっと吹いて私は思わず目を瞑る。目を開くと部屋の中を漂うものを視界の端で捉えた。「花・・・桜か。」そう言いつつ花びらをキャッチした。「まだ三月に入ったばかりなのに早いな、どこのだ?」人に忘れられつつあるこの土地で、私しか知らない三月一日の桜を見つけるのも面白い。私は早速桜を捜す準備を整えた。時間は午後十二時過ぎ。「失われた午前中を取り戻すしに行くぞ。」

 鞄には空きペットボトルに入れたお茶と塩おにぎり二つ、なんとなく水上勉の櫻守を入れてみた。靴は久しぶりに登山靴を引っ張り出してきた。いつのものか分からない土が付いたままになっていた。

 とにかく当てはない。風が吹いた方向を目指して歩き続けるだけだ。砂利道を通り、山道に入り、道がなくなり、木の根木の幹を掴みながら道なき道をよじ登る。野茨の棘に服を引っ張られ、杉の根っこで足を滑らせ、目の前に突如出現する蜘蛛の巣に翻弄されながら私はある丘の上まで来ていた。その丘はすり鉢状に凹みほとんど陰になっていたがあの花の主だけには日が当たっていた。幹は細く枝もあまり広がりがない。しかし根はどっかり落ち着いているように見え、幹には洞やキノコがついている痕は全くなく、ただまっすぐ立っている。そして花は満開であった。

 その桜の木の根元に行き、幹に体を預け腰を下ろす。頭上を見上げると桜色が風でなびき空の青の中を泳いでいるようだ。風が吹くとざわつき、時に落ち着き、またざわつく。また落ち着いたと思えばざぁーと揺れ散り散り散り。ずっと見ていられた。何とも言えない気持ちだけど全然悪くない。「今がいいな。ここに居よう。」と目を閉じて軽く呟いた。

 

 私は、来年にはここにいないだろう。

 三月にこの引き出しを開け桜の塩漬けを食べた時、私はあの場所にいる。

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